山陰本線の未乗車区間として残っている、「出雲市-江津」「益田-幡生」「長門市-仙崎(仙崎支線)」を全て乗車する二泊三日の旅に出かけた。乗車のついでに、出雲大社、青海島、小倉城、福岡城などを見学した。その旅で、小倉に乗車した三日目、朝一番で小倉城を訪れた。小倉には学生時代の四年間住んでいたが、小倉城を訪れたことは無かった。
小倉城は 1569年(永禄12年)、中国地方の戦国大名毛利氏が城を築いたことが始まり。関ヶ原の戦いで徳川家康に与した細川忠興は、豊前国へ加増転封となり、1602年(慶長7年)から約7年かけて唐造の天守閣を築城し、細川氏の肥後国熊本藩へ転封となった後、1632年(寛永9年)に譜代大名である小笠原忠真が入城し、以後幕末まで小笠原氏が居城した。
1837年(天保年)に失火のため天守閣が焼失し、残る城郭も1866年(慶応2年)、第二次長州征討で長州藩の反撃を受けた小倉藩が、混乱の中で自ら城を焼却した。そして戦後、1959年に天守閣が再建された。再建された天守は藤岡通夫の設計考証により鉄筋コンクリート構造によって復興されたもので、1959年(昭和34年)に完成した。藤岡の当初案は資料考証に基づいたものであったが、建設資金を捻出した地元商工会の「お城の恰好をよくするためには必要」という要望によって、大入母屋破風や千鳥破風、唐破風などの破風が追加されてしまったため、外観は史実と大きく異なる。このように昭和になってから新造された天守であるため文化財には指定されていない。
天守の営業開始の9時過ぎに入場したため、ゆっくり見学することが出来た。平成31年(2019年)3月に、約30年ぶりに展示内容と内装をリニューアルし、「体験型観光スポット」として生まれ変わった。大阪城・名古屋城に次ぐ国内で三番目の規模を誇る天守で、充実した展示物だ。福山城や岡山城と同じような近代的な資料館だ。
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