JR西日本/三江線(江津→三次) 乗車記
(2018.4.1 廃止)

2017.6.26

乗車区間  江津 5:53 → 三次 9:21 (2017.6.26)
乗車列車  普通 423D 江津発、三次行き
車両  JR西日本キハ120形気動車300番台 / 312 + 357 (2両/浜田鉄道部)

三江線・路線図

三江線について
 JR西日本が運行していた鉄道路線で島根県江津市の江津駅から広島県三次市の三次駅を結んでいた。三次―江津間108.1キロメートル、全線単線、非電化だった。江の川の河谷に沿って三次盆地と江津を結び、芸備線、福塩線と結んで陰陽連絡鉄道の一部をなしていた。沿線には大きな都市はなかった。石見江津(現、江津)―浜原間は1930~1937年に開業、1955年より三江北線とよばれた。三次―口羽間は1963年に三江南線として開業し、1975年、浜原―口羽間の開業によって全通して三江線となった。1987年、国鉄の分割民営化に伴い、JR西日本に所属。沿線の過疎化と自家用車普及により利用者が減少したため、2018年3月に廃止された。JR発足後、本州で100キロメートルを超える路線が全面廃止されたのは初めてだった。

2019.11.12 作成


 JR西日本の「おとなびパス」を利用して来年3月をもって廃止が予定されている三江線に乗車する旅行の計画を立てた。せっかくの機会なので往路か復路のいずれかで「サンライズ出雲」を利用してみたいと考えた。すると、6月23日東京発の「シングルデラックス」が購入できたので、帰路は JAL ということで決定した。そして、最終日に、今回の旅行の第一の目的の三江線に終点三次まで乗車する。
 三江線は開通当時から利用状況は芳しくなく、何度も路線廃止の話が上がってきた。2012年度に行われた増便実験でも芳しい結果は得られず、2014年度の輸送密度は1日当たり50人とJR西日本発足時の約9分の1にまで落ち込んだ。また、平成18年、25年と二度にわたり大規模災害による長期間運休を余儀なくされ、災害リスクの高まりも看過できない状況から廃止へ進んだ。第3セクターなどでの存続案も財政負担的に難しいとなり、バス転換への道となった。最初は 2017年9月末での廃止予定だったが、代替バス路線の計画策定のための時間が必要ということで 2018年3月末での廃止が決定した。
 前日に江津に到着、駅前のホテルに宿泊した。当日は、時間に余裕を持って 5:20 にはホテルを出発する。この時期の日の出は5時少し前なので、外はもう十分明るい。天気予報は良い方に外れて、空には青空が広がっている。駅周辺はまだ静まりかえっているが、同じ目的と思われる人が一人駅に向かっている。
 すでに改札は空いているが、窓口に職員の姿は無く、早朝は無人対応の時間帯のようだ。2番線には停泊中のキハ126 が止まっているが、三江線ホームの3番線にはまだ入線していない。ホームには親子連れを含め既に5人のマニアが入線を待っていた。

 JR西日本/江津駅 (島根県江津市) / 5:53 発車

 三次行き 423D は 5:44頃入線。単行だと思い込んでいたが、キハ120形300番台の二両編成だった。ステンレス車体の浜田鉄道部塗装だ。車両の三次方にボックスシートが四個あり、後はロングシートのセミクロスシートの内装だ。長時間乗車でロングシートでつらいので、先頭車の進行方向左側のボックスを確保した。先頭車両は六名の乗客で、江津を定時に出発した。

 普通 423D 江津(5:53)発、三次(9:21)行き
 
JR西日本キハ120形気動車300番台 / 312 + 357 (2両/浜田鉄道部)

 江津を発車すると山陰本線を左手に分けて、三江線は方向を南に向ける。すぐに江の川に沿って走るようになり、ここからしばらくは左手に江の川を見ながらの旅となる。しばらく走ると、空に雲が出てきた。

 車窓 / 江の川 (川平-川戸間) / 6:13

 本列車はワンマン運転ということになっているが、なぜか車掌らしき職員が乗っている。しかし、この人は車掌では無く、乗車券だけを販売する人だった。ドアの開閉や運賃の収受は運転手の仕事で、確かにワンマン運転だった。なんとも中途半端な人員配置だと感じるが、こうした必然性があるのだろうか。

 因原駅 / 6:55-56

 江津から石見川本まで閉塞区間となっていて、この駅が江津を発車して初めて交換できる駅だ。既に浜田行き 420D が入線していて、交換が行われた。420D はキハ120形 二両だ。乗車している 423D は終点まで交換待ちとか時間調整が無く、ダイヤ上は 0分か 1分停車となっている。乗り通すには最速で便利だが、車両からホームに降りることの出来る駅が無いので残念だ。

 石見川本駅 / 7:02

 いつの間にか青空が広がっている。今走っている区間は旧三江北線で、最高速度は 65キロに設定されているが、急なカーブだらけで至る所に 30キロなどの速度制限が掛かっている。

 竹駅 / 7:14

 乙原駅 / 7:19

 石見梁瀬駅 / 7:26

 石見川本の次の交換可能駅は浜原で、こちらでも既に浜田行き 422D が入線していて、交換が行われた。420D はキハ120形 一両だ。これだけ運行本数が少ない路線で交換が二回見れるとは、通勤通学時間帯朝ならではのものだろう。
 ここまでが旧三江線(三江北線)で、1937年に全通した古い線区なので、規格が古く平均速度が非常に低い。一昨年乗車した、JR四国の予土線・北宇和島-江川崎間のようなローカル線色が非常に濃い区間だ。

 浜原駅 / 7:42-43

 浜原から口羽までは北線と南線をつなげるため後年建設された区間なので、規格が高く最高速度は 85キロと他の区間より高い。高架区間、トンネル、橋梁が多く、これまでの区間と車窓に変化がある。また、この新しい区間は江の川が右手に見える場所が多い。三江線の全線開通は 1975年、直通運転は 1978年ということで、車社会の時代に変わろうとしている頃だった。

 石見都賀駅 / 8:07

 この新しい区間に、「天空の駅」とマニアに呼ばれている宇都井駅がある。ホーム及び待合室は地上 20mの高さにあり、高さとしては日本一ということだ。しかし、エレベーターやエスカレーター等はなく、ホームに上がるには 116段の階段を上らなければならない。是非訪れたい駅だったが、今回は時間的に調整できなかった。
 この時間にもホームには二名の鉄道ファンがいて、この列車に乗車した。この人たちは三次初発の上り列車でやってきて、一時間あまりの滞在を楽しんだのだろう。

 宇都井駅 / 8:14

 口羽からは、旧三江南線の区間に入る。ここから先は基本的に江の川は左手を流れるようになる。青空が広がり、江の川が美しい。少しずつ乗客が増えてきて、終点三次が近づいてきたことが感じられる。二両の乗客は20名以上はいると思われるが、鉄道マニアらしき人の姿も多い。

 長谷駅 / 9:05-06

 この列車の乗降客のメモは次の通り。
川戸-2、因原-1+1、石見川本-1、乙原+1、石見簗瀬+2、粕淵-3、浜原+3、沢谷+1、潮+2、石見都賀-2+3、宇津井+2、香淀+3、作木口+1、船佐-1、長谷+1、粟谷+1、尾関山-1。

 車窓 / 長谷-粟谷間 / 9:07

 車窓 / 粟谷-尾関山間 / 9:16

 あたりの空間が広がって市街地に入ってくると、間もなく三江線最後の駅尾関山に到着。終点は目の前だ。青空はさらに広がり、今回の旅行一番の気持ちのいい晴天となった。

 尾関山駅 / 9:18

 108キロの距離を3時間半かけた三江線の旅が終わった。最初はキハ120 で三時間半はきついかなと思ったが、風光明媚な素晴らしい路線でもっと短い時間に感じた。特急のグリーン車に乗っていると快適に車窓を楽しむことが出来るが、体全体で感じていないのか印象が薄くなってしまうのは仕方が無い。しかし、こうしてローカル線の普通列車に乗った印象は強く残る。そう強く感じた3時間半だった。

 JR西日本/三次駅 (広島県三次市) / 9:21 到着

 この列車は折り返し 10:02発、石見川本行きとなる。折り返しには 40分あるのに、ホームは既に乗車する乗客がたくさん待っている。年配女性たちの団体がいて、その人達が多くの座席を埋めていった。そのうち二両編成の座席の半分が埋まっていった。「廃止予定線乗車」のツアーというのが存在するもだろうか。
 三江線も後9ヶ月で廃止となる。総距離 100㎞以上のローカル線の廃止はインパクトが強いが、実際に乗車してみると、この路線を維持するが非常に難しいことを実感した。感情的に残してもらいたいというのは無茶な話というものだ。鉄道が全国を網羅するというのは、遠い昔の話となってしまったようだ。





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